日本人の主食はお米ですね!最近はパン食派が増えてきているとはいえ、そんなパン派の中にも炊き立ての米粒のつやつやした輝きを想像するだけで、よだれが出てくる人も多いのではないでしょうか?米離れが進んでいるとはいっても、コンビニやスーパーのお弁当コーナーの主役は相変わらずお米!
また、パン食の人でも三食全てをパンにしている筋金入りのパン食派はほとんどいないはず。ということで、今回は日本人の主食のお米、とりわけ近年健康食料として注目されている玄米について調べてみました。
お米の基礎知識
この記事で取り上げるのは玄米ですが、本題に入る前に「お米」の基礎に触れておきましょう。お米は穀物の一種で、小麦・トウモロコシと並んぶ世界三大穀物の1つです。
中国中南部がその起源とされ、そこから中国大陸北部、東南アジア、そして日本へと広がっていきました。
お米にはジャポニカ米とインディカ米の2つの系統があります。日本で生産されるお米のほぼすべてがジャポニカ米ですが、世界的にはインディカ米のほうが多く作付けされています。
このインディカ米が日本人に広く知られるようになったのは、平成5年(1993年)の”米騒動”がきっかけでしょうか?
記録的な冷夏の影響で国内需要をまかなえる収穫が見込めなくなったことから、緊急輸入されたものがタイ米(インディカ米)だったのです。
この記事をご覧の方の中にも、この騒動をよく覚えているという方がいらっしゃるのではないでしょうか?
玄米とは?
ではここで「玄米」の話に戻ります。健康ブームの昨今、耳にすることの多い玄米ですが、改めて辞書で確認してみましょう。
広辞苑で「玄米」を引くと
(「くろごめ(黒米)」に当てた漢字の音読)籾殻(もみがら)を除いただけで、精白してない米。精白により剥落するビタミンB1等を含むため、近年健康食料とされる。くろごめ。
とあります。
また、国の「玄米及び精米品質表示基準」では、
「もみから、もみ殻を取り除いて調製したものをいう。」
玄米及び精米品質表示基準 農林水産省・消費者庁
と定義されています。
第2条の定義には、玄米のほか、精米、もち精米、うるち精米など細かく表示されているので、ちょっとした勉強になりますね!
お米は もみ殻 ぬか層 胚芽 胚乳 からなり、私たちが日ごろ口にしている白米は「胚乳」と呼ばれる白い部分です。
「玄米のぬか層の全部又は一部を取り除いて精白したもの」を精米と定義していることから、玄米が注目を浴びる秘密はぬか層・胚芽に隠されていそうです。
稲作の歴史
玄米は言うまでもなくお米です。となると玄米を語るには日本の稲作文化を抜きにしては始まりません。お米の消費量が落ち込んでいるとよく言われていますが、それでもお米は日本人の主食です。
私たちの胃袋を支えてきたお米・稲作の歴史とはどのようなものなのでしょうか?
稲の栽培方法には水稲と陸稲(りくとう・おかぼ)の2種類があります。
水稲は田んぼに水を張って栽培するものですが、雨量が多いという地域的特性と品質が良く収穫量も多いことから、日本で収穫される稲のほとんどが水稲です。
ということで、ここでは水稲の歴史を振り返りってみることにします。
稲作の起源
稲作は約1万年前、中国の長江流域、現在の湖南省周辺で始まったと考えられています。湖南省の緯度は北緯28度辺り、日本でいうと鹿児島県の奄美大島くらいの南になります。
稲作の歴史は耕作地域の北上の歴史でもありますが、南の地域で誕生したお米がどのように北上していったのか、も一緒に追いかけてみましょう。
その後、中国大陸の山東半島(北緯36度辺り)まで広がったのが紀元前3000年頃、5000年かけて緯度にして8度北上したんですね。
日本への伝来
日本での水稲栽培の始まりは、佐賀県の菜畑遺跡の発掘調査から約2600年前だと考えられています。
菜畑遺跡(なばたけいせき)
https://www.city.karatsu.lg.jp/bunka/tanbo/rekishi/nabata.html
菜畑遺跡のある佐賀県唐津市は北緯33度、南に後退してしまいましたね。
ただ、伝来した場所が佐賀県唐津市と考えると、南への後退もやむを得ないかもしれません。
ところで、中国大陸が起源の稲作がどのように日本へ伝来したかについては
1.朝鮮半島経由説
2.江南説(直接ルート)
3.南方経由説
の3つの説があります。いずれの説も有力な決め手に欠け、いまだに議論が続いています。
いずれにしても唐津は古くから朝鮮半島、中国大陸の玄関口として栄えた天然の良港なので、どのルートを経由しても唐津へ上陸するのは無理がないと言えますね。
日本での広がり
日本へ稲作が伝わったのが約2600年前ですが、弘前市北部の砂沢遺跡で弥生時代前期の水田跡とみられる遺構が発掘されました。
砂沢遺跡
http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/kuni/kuni25.html
発見された遺構は今からおよそ2300年前の水田跡です。このことから、弥生時代の前期には本州全土に稲作が広まったと考えられています。
砂沢遺跡の緯度は北緯40度、300年の間に7度も北上したことになりますね。
津軽海峡を越えた!北海道での稲作の広がり
以前は「北海道の米は不味い」と散々な評価だった北海道米。そもそも稲は温暖な地域で広がったもの、冷涼な気候の北海道で稲作を広めようという試み自体が、無謀だったのかもしれません。
それでも、北海道での稲作の歴史は意外と古く、江戸時代の寛文年間(1661~1672)に松前藩主の命で大野村(今の北斗市)で試験的に行われたという記録が残されています。
その後、幕末の1850年頃に大野村で稲作に成功します。大野村の緯度は北緯41度、2100年近くかけてやっと1度北上したことになります。それだけ海を渡るのが大変だったのでしょうか。
そして時代は明治に移ります。
北海道開拓のために置かれた開拓使、その開拓顧問のケプロンから「北海道は稲作に適さない」という指摘を受けますが、明治6年(1873年)中山久蔵が今の北広島市島松で道南以北で初となる稲作に成功します。
「Boys, be ambitious!」クラーク博士が残した言葉でも有名な北広島市島松の緯度は北緯42度、約20年で1度北上したのです。
この成功を機に、北海道の稲作は石狩平野はもちろん、空知地方まで広がっていきました。
現在の日本最北の水田は道北の遠別町にあります。ここ遠別町で稲作が始まったのは大正7年(1918年)、遠別町の緯度は北緯44度、40年余りで2度の北上となりました。
参考:北方資料展示 知れば知るほど、北海道米
http://www.library.pref.hokkaido.jp/mobile/web/publish/qulnh000000006zl-att/vmlvna0000002967.pdf
お米はお金でもあった?
このように、縄文時代晩期から弥生時代の前期にかけて本州全域に広がった稲作ですが、この稲作の発展により日本の社会はお米を中心に回っていくことになります。
ところで、「租庸調」という言葉に聞き覚えはありませんか?
租庸調とは奈良時代に始まった律令制度の下での租税制度ですが、「租」はお米のこと。今でいう税金をお米で納めていたのです。
「年貢の納め時」ということわざもありますが、この年貢も租税の一種。年貢米という言葉もあるように、これも主にお米で納められていました。
この税をお米で納める制度は、その後の太閤検地による石高制の導入など時代によって移り変わりながらも、明治に入っての地租改正まで続いていくのです。
ちなみに、加賀百万石などの「〇万石」はその領地のお米の収穫量のことで、格や富を表わす基準としても使われていました。ちなみに1石は約180リットル、1升瓶で100本分に相当します。
このように、お米は食べ物のみならず、お金のように「価値」そのものでもあったと考えること、その「価値」の源となる田んぼはまさに「金のなる木」!
この場合は「田」ですが、歴史の節々で繰り広げられた争いも、この「田」の奪い合いの側面もあったのかもしれません。
玄米に注目!その理由はある病気が原因だった!?
大昔から日本の食の中心にあったお米ですが、白米を食することができたのは上流階級に限られ、庶民は玄米や精米度の低いお米に雑穀を混ぜたものを食べていました。
庶民の口に白米が入るようになったのは江戸時代、精米技術の向上や炊飯時間の短縮の必要性(玄米を炊くにはより多くの薪が必要になる)が理由としてありました。
人口密集地であれば薪の調達にも苦労したのでしょう。
白米食が中心になるにつれて、江戸の町ではある病気が流行することになります。それは脚気(かっけ)でした。
江戸への長期滞在(参勤交代ですね)で白米を食べ続け、脚気になった地方武士が領地に戻ると快復したことから、当時は「江戸煩い」と呼ばれていました。
そして時代は明治へと移ります。富国強兵のスローガンのもと政府は徴兵制を導入しますが、その徴兵令の謳い文句は「1日6合の白米を食べさせる」と言うものでした。
白米に憧れて入隊し、食べられるのも約束通りの白米!白米なんて口にしたことのない兵隊さんは大喜びだったと思いますが、そこで軍隊の中に脚気を患う者が大勢でることになったのです。
慌てた海軍はイギリスに倣い、麦を食事に取り入れることで脚気患者を劇的に減少させることに成功しました。
その一方で陸軍は頑なに白米中心の食事をとり続け、脚気を原因とする死者を出し続けることになったのです。
このような出来事から、大正時代には、脚気は結核と並んで二大国民亡国病とも呼ばれたのです。
深刻な状況の中、農芸化学者の鈴木梅太郎が、白米のみで飼育し脚気の症状が見られた実験動物に玄米・ぬかを与えたところ快復したことから、糠中に脚気を防ぐ成分が含まれていることを予測します。
そして、ぬかの成分を濃縮して「オリザニン」として商品化しました。
ただ、残念なことに、このオリザニンも当時の医学界の混乱や対立などで脚光を浴びるまでには至りませんでした。
オリザニンに代わって脚気の治療薬として使われたのが、同じくぬかの成分を抽出したアンチベリベリンで、これを機に脚気騒動は一応の落ち着きを見ることになったのです。
アンチベリベリンに美味しいところを持っていかれたとはいえ、鈴木梅太郎のこの研究は、世界で初めてビタミンを発見した偉業として現代も語り継がれています。
玄米の栄養素
世界初のビタミン発見のきっかけとなった玄米、その栄養素が気になるところです。では、玄米の栄養素を白米と比較して見てみましょう。
成分名 | 単位 | 玄米 | 白米 | |||
廃棄率 | % | 0 | 0 | |||
エネルギー | kcal | 165 | 168 | |||
kJ | 690 | 703 | ||||
水分 | g | 60 | 60 | |||
たんぱく質 | g | 2.8 | 2.5 | |||
アミノ酸組成によるたんぱく質 | g | 2.4 | 2 | |||
脂質 | g | 1 | 0.3 | |||
トリアシルグリセロール当量 | g | -0.9 | 0.2 | |||
炭水化物 | g | 35.6 | 37.1 | |||
灰分 | g | 0.6 | 0.1 | |||
無機質 | ナトリウム | mg | 1 | 1 | ||
カリウム | mg | 95 | 29 | |||
カルシウム | mg | 7 | 3 | |||
マグネシウム | mg | 49 | 7 | |||
リン | mg | 130 | 34 | |||
鉄 | mg | 0.6 | 0.1 | |||
亜鉛 | mg | 0.8 | 0.6 | |||
銅 | mg | 0.12 | 0.1 | |||
マンガン | mg | 1.04 | 0.35 | |||
ヨウ素 | μg | 0 | 0 | |||
セレン | μg | 1 | 1 | |||
クロム | μg | 0 | 0 | |||
モリブデン | μg | 34 | 30 | |||
ビタミン | A | レチノール | μg | 0 | 0 | |
カロテン | α | μg | 0 | 0 | ||
β | μg | 0 | 0 | |||
β−クリプトキサンチン | μg | 0 | 0 | |||
β−カロテン当量 | μg | 0 | 0 | |||
レチノール活性当量 | μg | 0 | 0 | |||
D | μg | 0 | 0 | |||
E | トコフェロール | α | mg | 0.5 | Tr | |
β | mg | Tr | Tr | |||
γ | mg | 0.1 | 0 | |||
δ | mg | 0 | 0 | |||
K | μg | 0 | 0 | |||
B1 | mg | 0.16 | 0.02 | |||
B2 | mg | 0.02 | 0.01 | |||
ナイアシン | mg | 2.9 | 0.2 | |||
ナイアシン当量 | mg | 3.6 | 0.8 | |||
B6 | mg | 0.21 | 0.02 | |||
B12 | μg | 0 | 0 | |||
葉酸 | μg | 10 | 3 | |||
パントテン酸 | mg | 0.65 | 0.25 | |||
ビオチン | μg | 2.5 | 0.5 | |||
C | mg | 0 | 0 | |||
脂肪酸 | 飽和 | g | -0.23 | 0.1 | ||
一価不飽和 | g | -0.3 | 0.05 | |||
多価不飽和 | g | -0.33 | 0.08 | |||
コレステロール | mg | 0 | 0 | |||
単糖当量 | g | 35.1 | 38.1 | |||
食物繊維 | 水溶性 | g | 0.2 | [ ] | ||
不溶性 | g | 1.2 | 0.6 | |||
総量 | g | 1.4 | 1.5 | |||
食塩相当量 | g | 0 | 0 | |||
アルコール | g | – | – | |||
重量変化率 | % | 210 | 210 |
※「めし(炊いた状態)」で比較の比較
文部科学省 食品成分データベース より 抜粋・加工
比べてみると、無機質(ミネラル)とビタミン類に大きな差がありますね。
玄米から「ぬか」「胚芽」を取り除いたものが「白米」なので、取り除かれる「ぬか」「胚芽」には驚くほど豊富な栄養成分が含まれていることが良くわかります。
近年、この玄米の栄養成分に注目したダイエット法も話題になっています。
でも、なぜ、栄養素の宝庫である玄米の状態で食べられないのでしょうか?
それは、ぬか臭い、固い、パサパサするといった食味の悪さや、白米と比べて炊くのに時間や手間がかかるところが嫌がられたからなのです。
でも、こんなに豊富な栄養素を活用しないでいるなんてもったいないですね。
そんな玄米を上手に取り入れることは出来ないか、考えてみましょう。
玄米を美味しく食べる
せっかくの豊富な玄米の栄養成分、無駄にしてはいけないと玄米を美味しく食べられる方法を紹介しているサイトもあります。
無農薬米・無農薬玄米の専門店 ふくい味覚倶楽部
少しの工夫で美味しく食べられるのであれば、ぜひ、参考にしたいですね。
他にも「玄米炊きモード」を備えた炊飯器なども家電コーナーで見かけるようになりました。
手をかけずに玄米を美味しく食べられるのであれば、購入を検討したいですね。
また、「金のいぶき」という玄米食を前提に品種改良されたお米も登場しました。
みやぎ県産玄米 金のいぶき
家庭用の炊飯器で白米と同じように炊いても美味しく食べられるのは、今までの玄米にはなかったメリット!
試してみる価値がありますね。
発芽米
こちらの商品は、玄米を発芽させて栄養価を高めたお米です。
玄米は言わばお米の種、育てると芽が出てきます。玄米からほんの少し芽がでたものが「発芽玄米」ですが、この発芽玄米には玄米を上回る栄養価があることがわかっています。
一般社団法人高機能玄米協会
「硬い」という食味の悪さや、炊飯に手間がかかるという玄米の短所も解消された上に、玄米を上回る栄養価を誇る発芽玄米、試してみてはいかがでしょうか?
栄養素が注目されると商品化されるのがサプリメントですよね?
玄米も例にもれず、その長所を余すところなく活かしたサプリが販売されています。
はれやか玄米
https://www.kamedaseika.co.jp/cs/?p=item.itemDetail&itemId=1295
サプリメントの良いところは、成分を自由にプラスできるところ!この商品は乳酸菌がプラスされています。
食生活が乱れがちな方におすすめです!
ぬかの活用術
精米の段階で玄米から剥がされるぬかは、お米屋さんやスーパーなど身近なところで購入することができます。
糠漬けの糠もこのぬか、お祖母ちゃんが糠漬けを漬けていたな・・という思い出のある方もいるのではないでしょうか?
このぬかには驚くほど多くの利用法があるのです。
まずは料理、先ほどの漬物やタケノコのあく抜きには昔から使われてきました。
他にも、ぬかを炒ってからクッキーを作ったり餃子のアンに混ぜたりと、工夫次第で様々なアレンジができそうです。
次はスキンケアです。
少量の水を混ぜてペースト状になれば、洗顔クリームの出来上がり!細かい粒々感はスクラブ洗顔料のようで、汚れがきれいさっぱり落とせます。
また、米ぬかパックもおすすめです。ぬかは油分を含むので、保湿効果も期待できますね。
最後はお掃除です。
細かい粒々のぬかは天然のクレンザー!水垢や茶渋落としに大活躍です。
そして、キッチンの油汚れ掃除にも重宝します。100%自然由来のものなので、小さなお子さんのいるご家庭では助かりますよね?
また、フローリングの床を水を含ませた糠で磨くと、汚れを落とせるだけではなくピカピカにキレイに仕上がるんですよ!
他にも家庭菜園や廃油処分など、便利な使い方は盛りだくさん!
食事に美容にお掃除に、身近なところで大活躍のぬか、皆さんもぜひご活用ください。
参考 こんなに役に立つ! 米ぬかの生活まるごと活用法
玄米を使ったダイエット方法はコチラ
玄米は大正時代の救世主?【玄米の歴史と栄養素】のまとめ
日本人には身近な食材「玄米」。「白米」が主食として食べられるようになってからは、積極的に食べる機会は少なくなり、いまでは「お茶」などで親しまれるようになりました。
しかし現代でもなお、「玄米」の健康食品としての意義は衰えることはなく、むしろ今日のダイエットブームのなかでは、ヘルシーで栄養満点の「ダイエット食品」として再評価されているくらいです。
そこで本記事では、そもそも玄米とは何なのかという基本的な知識を歴史的な流れをふまえて紹介しつつ、玄米の栄養素や美味しい食べ方などを説明していきます。
食事以外にも、日常生活でのヌカの活用術などもご紹介いたします。
長い間白米の影に隠れ不遇の日々を送ってきた玄米にも、ようやく春が訪れたようです。食べて良し、使って良しの玄米とぬかからは、今後も目を離せませんね!
記事の作成にあたっては、記事中に触れたサイトの他に、以下のサイトを参考にいたしました。
やまがたアグリネット